小澤直樹~ぼくの最大の「娯楽」~

僕にとっての最大の「娯楽」は海外に行くこと。

(22)【考える練習をしよう】

はいこんにちは。

 

 

寝不足男の小澤直樹です。

 

 

 

 

「考える練習をしよう」

 

 

これは最近読んだ本のタイトルです。


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真備町に行った時に、ある方からおすすめされた本。

 

次の日にAmazonで購入し、1ヶ月ちょいの家出から帰ってきた時にすぐ読みました。

 

 

 

 

「考える」

 

 

 

僕がものすごく苦手なことです。

 

原因は何となくわかってます。

 

それは

 

 

「考えようと思いながら考えているから」

 

 

苦手意識があるからこそ、起こってしまってることだと思います。

 

 

「感じる」

 

っていうことも同様で、

 

 

「感じようとして感じています」

 

 

 

 

 

今考えると元々小学生の頃から「考える・感じる」ということに苦手意識を感じていました。

 

授業参観日に、ある女の子の映像を見る道徳かなんかの時間があり、一番後ろだった僕はコメントを書く時間に親に覗き込まれました。

 

 

「かわいそうだった。」

 

これしか書けなかった自分に親が

 

「それしか書けないのか」

 

みたいなことを言ってきたのを、覚えています。

 

 

 

それに今でもそうです。

大学のコメントペーパー、サークルのミーティングでコメントを言う時、ワークショップなどでアイデアを出す時。

 

 

様々な時に自分の「考える・感じる力」の無さに驚かされます。

 

 

高校ぐらいから周りの子や先生に

 

「直樹くんはよく考えてるよね」

 

と、こんなことを言われることも少なくありません。

 

 

 

注意!!

そういう時こそ、小澤直樹は何も考えて(感じて)いません。

 

 

ってか基本ボーッと、無で生きてるのが小澤直樹です。

 

 

 

 

話を戻します。。。

 

 

こんな僕に与えられた言葉。

 

「考える練習をしよう」

 

 

なるほど、練習か。

 

 

一瞬、「考える」と「練習」は結びつくようなものじゃないとも思いました。

 

 

 

 

 

たしかに「考える・感じる」は生まれつきもった才能でもあると思います。

 

 

しかし、

『「考える・感じる」も練習が必要なんだ!練習で培えるものなんだ!』

 

 

 

そう思いました。

 

 

この「考える練習をしよう」という本は、

著者の考えがズラズラ書かれているわけではなく、

ほとんどが練習問題でした。

 

「クラスにメガネをかける人の名前を考えて書け。」

「学校からの帰り道を全て頭の中で思い出せ。」

 

→周りをよく観察する。

 

「見方によって絵の意味が変わるもの。」

「ある問題の答え(アイデア)をもう1つ探せ。」

「これってどういうこと?」

 

→先入観を取り除く

 

「千円札を立てて、その縁に百円玉を上手く乗せろ。(頭の中で)。」

 

→思考停止したら思いついたことから、さっさと頭を切り替える。

 

「多くの子供が野球好きなのは、どうしてだろう。」

「世の中に必要な未来アイテムをリストにしよう。」

 

→質問をする。

→考えを文字に起こす。

 

 

 

との事でした。

 

広く観察し、先入観でものを見ず、頭を切り替え、質問やおもったことを文字に起こす。

 

ということが、著者の考える「考える練習」方法です。

 

 

 

 

 

 

 

考える(感じる)ことに苦手意識を持ってる人は多いと思います。

 

 

 

しかし、

これは天性のものだけではなく、方法はともあれ練習によって培われるものなのだと感じました。

 

 

僕は

(自然と)考える・感じる力をこれからしっかりつけたいです。

 

 

 

 

 

さぁ

 

「考える練習をしよう。」

 

 

 

 

2018.10.1